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大阪地方裁判所 昭和46年(ワ)4914号 判決

原告 中村市郎右衛門

被告 谷口勇

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一、当事者の求める裁判

(原告)

被告は原告に対し、金四〇万円およびこれに対する昭和四六年一〇月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

仮執行の宣言。

(被告)

主文同旨。

≪以下事実省略≫

理由

一、本件土地がもと坂本茂昭の所有に属していたところ、原告が売買によりその所有権を取得したこと、ところが、請求原因(二)記載のとおり、昭和四六年六月九日、被告が原告を債務者として当裁判所に本件建物の処分禁止の仮処分を申請して、同月一二日その旨の仮処分決定があり、同月一五日その執行として本件建物につき処分禁止の仮処分登記がなされたことは、当事者間に争いがない。

二、そして、≪証拠省略≫によると、被告は、右仮処分の申請を弁護士上田稔に委任して、仮処分申請書を当裁判所に提出し、同申請書には申請の理由として、「被告は、坂本茂昭振出の小切手一通および約束手形二通額面合計金七〇万五〇〇〇円を所持していたところ、昭和四六年四月二四日、右小切手を支払のため呈示したが預金不足を理由に支払を拒絶され、右坂本は不渡処分を出した。ところが、同人はその直後の同月三〇日唯一の財産である本件建物を妻の親戚である原告に仮装譲渡した。よって、被告は坂本に対し破産申請をしたうえ、破産管財人をして破産法七二条二号等による否認権を行使するか、又は詐害行為取消訴訟を提起し、本件建物を取り戻すことを準備中であるが、原告はこれを他に転売しようとしているので、被告は、ただちに、申請の趣旨の仮処分決定を得なければ、本件建物が転売され、償うことのできない損害をこうむる。」旨の記載があり、この認定を覆すに足りる証拠はない。

そして、右仮処分申請理由を全体として解釈すれば、被告は、「仮装譲渡」なる文言を使用しているが、これは通謀虚偽表示の趣旨ではなく、むしろ本件建物の売買が真実存在するとしても、それは債権者を害する行為であることを意味していることが明らかである。

三、そこで右仮処分の違法性の有無について判断する。

≪証拠省略≫を総合すると、次の事実が認められる。

坂本茂昭は、本件建物でホルモン店を経営していたが、次第に経理状態が悪化し、昭和四六年三月当時には被告に対し約一五〇万円の債務があったほか他にも多額の債務を負担して債務超過の状態にあった。右当時坂本の債務財産としては本件建物が僅かにあるのみで、他にこれといった財産は殆んどないという状態であったので、そのまま推移すればいずれ資金不足から不渡処分を避けられぬ形勢となった。そこで、坂本は、本件建物を実父茂喜所有の建物と併せて相当な代価で売却し、その代価を債務の弁済に充てることにし、不動産仲介業大広商事に対し、不渡処分になれば困るので早急に売却してもらいたい旨仲介を依頼し、昭和四六年三月一〇日、右各不動産を原告に相当時価の金七三〇万円で売り渡し、本件建物については同年四月三〇日所有権移転登記をした。原告は、右買受時坂本の右売却事情を了解し、同人の希望に応じて代金を早目に支払った。坂本は右代価をもって債務の一部弁済に充当したが、債務超過のため、同年四月下旬不渡処分を出した。以上のとおり認められ(る。)≪証拠判断省略≫

ところで、債務者が弁済の資にあてる目的で不動産を相当価格によって売却することは、代価を一部特定の債権者への弁済に充てるため通謀してなされたものでないかぎり詐害行為とはならないところ、右認定事実によれば、坂本は、弁済の為にあてるため、本件建物を相当の代価で売却したものであって、特定の債権者と通謀したことも認められないから、本件建物の売却は詐害行為を構成しないというべきである。また、右認定事実によれば、坂本は、右売却当時においてはまだ支払停止の状態にあったとは認められないから、本件建物の売却は破産法七二条二号の否認の対象ともならないというべきである。

そうすると、被告は、本件仮処分申請において、申請理由において述べた被保全権利を有していなかったというべきであるから、右仮処分申請およびその執行は違法であるといわざるをえない。

四、かように被保全権利が存在しないにもかかわらず、存在するものとして仮処分の申請をし、認容された仮処分命令の執行をして仮処分債務者に損害を与えた場合は、特別の事情ないかぎり、この仮処分の申請およびその執行について仮処分債権者に少くとも過失があったものと推認するのが相当である。しかし、右申請人において、自己に被保全権利および保全の必要があると信じてその挙に出るについて相当な事由があった場合には、右被保全権利不存在の一事によって直ちに同人に過失があったと断ずることはできない。

そこで、本件仮処分当時被告が自己に被保全権利および保全の必要性があるものと信じたことにつき相当の理由があったか否かについて検討するに、≪証拠省略≫によれば次の事実が認められる。坂本茂昭は、前認定のとおり営業状態が悪化し、昭和四六年四月下旬不渡小切手を出して閉店した後、被告は同人に対する債権約一八〇万円の回収について弁護士に相談し、又その財産状況等を調査したところ、次の事実が判明した。(イ)坂本は右当時本件建物以外に他に債務の弁済に充てる格別の資産もなかったこと、(ロ)本件建物の登記簿謄本を閲覧したところ、右建物は右不渡処分の直後である昭和四六年四月三〇日付売買を原因として原告に所有権移転登記された旨の記載があったこと、(ハ)そこで原告の身上について調査するため、知人を通じて、坂本の使用人外村某に会って問いただしたところ、原告は坂本の妻の親戚であると聞かされ、又坂本は多額の債務があるので差押は困るといわれたこと、(ニ)本件建物を実際に見分したところ、原告が買い受けて間がないのに既に店頭に売家の看板が掲示されていたこと。そこで、被告としては当時のかかる状況から坂本は多額の債務を負担しながら債権者の差し押えを免れるため、原告に仮装譲渡したか、倒産覚悟で本件建物を処分したものであり、そのことは原告にも十分わかっていたものと判断し、更に原告が本件建物の店頭に売家の看板を出してあり、他に転売されるおそれもあるため、被告としては坂本に対する当時の前記約一八〇万円にも及ぶ債権の保全のため、仮処分の必要もあるものと判断した。このため、被告は弁護士にも相談したうえ、坂本の原告に対する本件建物の売渡行為は、被告その他の一般債権者を害することを知りながらなした詐害行為になり、かつ原告は悪意の受益者になること、又右売渡当時坂本はすでに支払の停止の状態にあり、原告は右事実を知りながら買い受けたもので右売買は破産法上の否認権の対象にもなるものと確信したので、弁護士に委任して、坂本に対する被告の右債権を保全するため、詐害行為取消権又は破産法の否認権を被保全権利として、本件建物につき処分禁止の仮処分を申請し、これを認容した仮処分決定に基づいてその執行をした。以上のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで、多額の債務を負担している債務者が不動産を他に売却した場合には、その代価を全債権者への弁済に充てる目的のため詐害行為にならないのか、又は特定の債権者への弁済に充てるために通謀してなされたものであるから詐害行為になるのかは仮処分債権者には容易に判断し難いところであるから、前示の如き事情に照らば、少なくとも、被告が、本件建物の売買行為が詐害行為になり、かつ、原告に悪意があったものと判断し、自己に詐害行為取消権があるものと信じ、原告を相手方として本件仮処分を申請し、かつその執行手続をしたことについてはまことに無理からぬ事情があったものというべく、他に右売買が詐害行為の要件を欠くと容易に了知しえたような特段の事情は認められない。もとより、右売買当事者に問い合わせればその間の事情はおのずと明らかになったであろうが、仮処分の実効性を確保するためにその隠密性、緊急性の要請も無視できないし、紛争の相手方又はその関係人に対し、その内部事情について信頼のおける回答を期待することは難きを強いるものというべきである。結局、以上各事実によれば、被告が本件仮処分の申請および執行をしたことにつきいまだ故意又は過失があったものと認めることはできないというべきである。また、≪証拠省略≫によれば、原告は、本件仮処分登記後、被告に対し、右仮処分執行解放の催告をしたが、その際、原告は本件建物の売渡が詐害行為であるとしても善意であることの事情を被告に充分了知させていないことが認められるので、被告が右仮処分執行解放の催告にかかわらず右仮処分執行を維持したことについても被告に過失があるものと断ずることはできない。

してみれば、被告のなした本件仮処分の申請、執行およびその維持は原告に対する不法行為に該当しないから、右仮処分に対する原告の本訴損害賠償請求は、その余の点について決断するまでもなく、理由がない。

五、ところで、原、被告双方が本訴訟における最大の争点として争ったのは、本件仮処分の違法性よりもむしろ右仮処分に基づく原告の損害の発生、即ち原告は落畑と本件建物について真実有効な売買契約(以下本件売買契約という)を締結したか、原告が右売買契約に基づく所有権移転登記義務の債務不履行により落畑に真実違約金八〇万円を支払ったかについてである。当裁判所の本訴請求に対する結論は前判示のとおりであり、右争点はもとより検討外であるが、本訴審理経過の右特殊性に鑑み、右争点に対する判断を次に付言する。

なるほど、原告は、原告本人尋問において、「本件建物は坂本茂昭から利殖を目的として買い受けたので、不動産仲介業大広商事に転売を依頼し、更に大広商事から依頼を受けた不動産業仲介業有限会社鶴家商事の代表取締役山口昭雄の仲介で、昭和四六年六月一四日、落畑との間に本件売買契約が成立した。右売買契約の内容は、≪証拠省略≫のとおり、代金四五〇万円、落畑は金四〇万円を手附金として即日支払う、残額は同年同月二四日本件建物の所有権移転登記を受けると同時に支払う、もし原告が右期日に右移転登記義務の履行を怠ったときは落畑は右売買契約を解除することができ、その際原告は落畑に対し違約金として手附金の倍額金八〇万円を支払う約定であった。原告は右契約日落畑から右手附金四〇万円の支払を受けた。ところが、被告の本件仮処分の執行をうけたため、右約定期日に右所有権移転登記手続ができなくなり、被告に右仮処分執行の解放を交渉し、昭和四六年六月二五日、被告に金三万円を支払って右仮処分解放の同意をもらい、翌二六日右仮処分解放申請書類の交付を受けたが右書類中に印影の不鮮明と印鑑の脱漏があったので、その補完に手間どり、これを整備のうえ、同月二八日当裁判所構内で業務する司法書士に右書類を交付し、右仮処分解放申請を委任した。しかしその頃までに前記所有権移転登記ができなかったため、落畑は遂に原告の右移転登記義務の不履行を理由に本件売買契約を解除したので、原告は同月三〇日落畑に対してやむをえず違約金として手附倍額金八〇万円を現金で支払った。」旨の供述をしており、≪証拠省略≫中にも右供述にその部分があり、又その記載自体から本件売買契約の締結および解除の関係書類として作成されたものと認められ≪証拠省略≫にも右供述にそう記載部分があり、これらの各供述および記載部分によれば、原告の前記主張のとおり、原告は落畑と本件建物についての有効な売買契約を締結し、原告は、右売買契約に基づく所有権移転登記義務の債務不履行によって落畑に違約金八〇万円を支払ったものと見うる余地がないでもない。

しかし、右原告主張にそう各供述および記載部分は、次に述べるところに照らして、にわかに信用し難い。すなわち、

(本件売買契約の成否について)

証人落畑憲一は、その姉で水商売に勤める落畑好余子が三、四年前からお好焼屋を開店する希望をもっていたので高校時代の友人である山口に店舗買受の仲介を依頼し、手附金四〇万円を売買契約日の約五日前に姉から受け取り、山口を通じて原告に支払ったと証言しており、右証言が真実だとすれば、右落畑好余子は原告にとってその主張の立証に最重要の証人であるにもかかわらず原告よりその証人申請は遂になされず、かえって被告申請の証人として呼出しを受けたが出頭しなかったのみならず、証人落畑憲一は落畑好余子の住所等について「下寺町で番地不明、電話番号は知らぬ」と証言しているが、そのあいまいな供述は極めて不可解であり、≪証拠省略≫によれば、落畑好余子が右証言の町内に居住していた形跡はないこと、数年前からお好焼店舗を求めていたものだとすれば本件売買契約のずっと以前に入手できたと考えられるし、≪証拠省略≫によれば、そもそも、本件建物は道路拡張によって立退きになることが既に具体化し、落畑憲一もそれを知っていたというのであるからが、数年もかかってかような立地条件の悪い店舗をわざわざ買い求める必要ないと考えられること、又もし本件建物で店舗を開店するとすれば内部の構造、面積は無視できないところ、本件証拠上落畑好余子が本件建物を契約の事前に見分した的確な証拠はなく、証人落畑憲一は自分は売買契約の前に本件建物を外部から見たのみだと証言しているが、かようなことは非常識でなければ、不自然であること、手附金四〇万円についてその具体的な出所も証拠上明らかでないし、その支払領収証に至ってはその存否すら証拠上確かでないこと、落畑憲一の前記証言に従えば本件建物の買受名義人は当然落畑好余子になるはずであり、同人も姉名義にする心算であったと証言しているにもかかわらず、前掲甲第二号証(不動産売買契約書)の買主は落畑憲一名義となっており、その間の事情は何ら明らかでないことが認められ、これらの諸事情に照らすと、落畑好余子なる者が本件建物の売買に真実介在したのかどうか疑問の余地が多分にあるといわざるをえない。

しかも、証人山口昭雄の証言によると、同人は、正規の免許を受けた宅地建物取引業者であり、前掲甲第二号証によると、その第一〇条に本件売買契約の仲介報酬金の規定があることが認められるが、証人山口昭雄、同落畑憲一は、本件売買契約以前には誰も本件建物の登記簿謄本を閲覧しておらず、右契約後落畑好余子から右登記簿謄本を直かに調べたいという希望があって初めて閲覧した、又落畑らは山口に仲介手数料は一切支払っていない旨証言しているのであって、右の如き取引事情は正規の業者の仲介による不動産取引においては普通考えられないこと、これに反して、≪証拠省略≫によると、本件売買契約の成立という昭和四六年六月一四日の前後も引続き本件建物の店頭には売家の看板が掲示されており、被告は、右掲示を見て同月一五日調査の目的で山口を訪れ、同人に対し本件建物は売却済かどうかその取引状況をとずねたところ、山口は、まだ売れていないと答え、その際被告および被告に同道して買主を装っていた丸山竹吉に対し本件建物の価額等を教示して、名刺を手渡し、その後丸山に対し二回にわたり電話をして本件建物買受の意思をたずねていることが認められ、もし本件売買契約が昭和四六年六月一四日に真実締結されていたとすれば右事実を合理的に説明でき難いこと、さらに、≪証拠省略≫によれば、昭和四六年六月二五日、原、被告が大阪市内のホテルで本件仮処分執行の解放について交渉した際、原告が、本件建物の買手がいるが仮処分のため売却することができないと甲し入れたが、被告から買手とは被告らのことだと答えられ思わず、原告は、買手とはあんたのことかと被告に答えた事実があること、≪証拠省略≫によると、原告はその後も山口に本件建物の売却を依頼しているが、今だに転売できず、現在義兄が右建物でうどん屋を経営していることが認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

前示認定の諸事情に照らすと、昭和四六年六月一四日の本件売買契約について、その真相がなへんに存するかはにわかに断定できないとしても、その真実性についてはあまりに不自然な点が多々あり、到底信用し難いといわざるをえない。

(違約金支払の成否について)

前記のとおり、原告は、仮処分解放申請の書類が昭和四六年六月二八日中には用意されて同日当裁判所内の司法書士に交付した旨供述しているが≪証拠省略≫によると、右仮処分申請書類が当裁判所に提出された日は同年七月九日であることが認められるので、これによれば右供述の信憑性は疑わしく、原告が右申請書類を被告から交付されながら直ちに当裁判所に提出せず、自らしばらく保管していたのではないかと考えられなくもないこと、そして、違約金八〇万円支払の経緯につき、原告は仮処分解放の書類は整っていたが移転登記が時間的に手遅れで落畑が待ってくれなかったと供述し、山口は、原告の申入れで六月末まで待ったが仮処分は解放されず、原告はそれ以上待ってほしいといったが、落畑は大事な客だからといって断り、契約解除にして違約金を要求したと供述し、落畑は契約解除も違約金の請求はこちらからしないが、原告が約束だからといって支払ってくれた旨それぞれ供述しており、その内容は帰一するところがないばかりか、互に矛盾していること、買主である落畑にしてみれば本件建物を店舗に利用するのである以上少しの遅れはあっても完全な所有権登記さえしてもらえれば異存はなかったであろうし、仲介人である山口にしてみれば原告は顧客、落畑は友人であるから、既に仮処分解放の書類は完全に整っており、約定に違反するにしても、一旦は猶予したものであり、数日で確実に移転登記できることは明白なのであるから、落畑から依頼されてもおらず、又前記のとおり自らの収入になるわけでもなかったのにことさら原告に違約金の支払を迫る必要もなかったと思われること普通八〇万円もの金員を受領すれば当然受取人から領収証が発行されると考えられるが、前掲甲第三号証は山口の原告に対する領収証であって、≪証拠省略≫によれば、同人は違約金領収証を発行しておらず、又同号証は日付欄とその余の欄と明らかに筆跡が異なり、何時作成されたものか判然としないことが認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はないことからすると、不動産取引がすべてにわたって合理的に行なわれるものではないとしても、原告の違約金支払の真実性についてはなお払拭しきれぬ疑問を抱かざるをえない。

六、以上の理由により、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 藤田清臣)

〈以下省略〉

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